従来の飽きっぽい性格が災いしまして、半年以上も更新をしておりませんでした。
いるのか分かりませんがこのブログを心待ちにしていた方に深くお詫び申し上げます。
さて先日の毎日新聞に非常に興味深い記事が掲載されていましたので転載します。
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半~、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。【文・遠藤和行、写真・米田堅持】
◇「私の場合」を募集
手紙は東京都内の男性から寄せられ、永六輔さん(72)が「びっくりする手紙です」と、次のように紹介した。
《ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」と》
番組には数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった。あるリスナーは「私は店で料理を持ってきてもらった時『いただきます』と言うし、支払いの時は『ごちそうさま』と言います。立ち食いそばなど作り手の顔が見える時は気持ちよく、よりおいしくなります」と寄せた。
一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあった。「食堂で『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、隣のおばさんに『何で』と言われた。『作っている人に感謝している』と答えたら『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた」との内容だ。
私は、この記事を読んだ瞬間にえっ!と声をあげていました。
食事と言うのは、非常に楽しみにしている人が多いと思います。
私も美味しい物を食べると非常に嬉しい気持ちになりますし、美味しいお店を探して歩くのも大好きです。
ただ、食の本質はあくまで美味しく食べるためではなく、生かされている自分自身の命を繋ぐ為に食事を取って命を分けてもらっているのだと私は思っています。
命を繋ぐために命を分けてもらうのだから『いただきます』と、謝意を示すのは人間として当たり前の行為では無いでしょうか?
現在では子供たちがスーパーや商店の店先でしか魚や肉を見たことが無い人もいると聞いております。
彼らにとっては、切り身やブロックののままがリアルな魚や動物に見えてしまっているのでしょう。
私の幼かった頃は幸い近所に自然も多く、虫取りや魚釣りに熱中したものです。そして近所に精肉店もありましたのでそこでは豚の解体作業などを興味本位に見学していました。
豚も精肉店に着くと自分の運命が分かるのでしょうね。大きな体から大きな涙をボロボロと流しているのを見て子供ながらに心が痛みました。
その頃は子供ながらにもとんかつを見ると豚さんとんかつに成っちゃって可哀想、でも美味しいようと泣きながら、おかわりをしていたことを思い出します。
私はそのような経験を通して食事と命の繋がりを自然に学ぶことが出来ました。
今の時代にはマッチしていないのかもしれませんが、今こそ親子でこの様な経験をするのが必要ではないでしょうか?
その事によって自然に『いただきます』って言葉が出てきたら素敵ですね。
全ての食卓に幸ある様に。
読んで頂き誠に有難うございました。
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(有)松井葬儀社